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そいつぁ誤解招きますぜ中央日報さんよ。

8263588d.png<取材日記> 自殺すれば‘サムライ’?
  日本の松岡利勝農林水産相が28日、自殺した。 62歳だった松岡氏は政治献金スキャンダルに関連し、心理的に大きな負担を感じていたことが伝えられた。

   日本の各メディアは戦後初の現職大臣自殺事件を大々的に報道している。 29日、松岡氏の遺体を乗せた霊きゅう車が東京永田町の首相官邸前を通過し、安倍晋三首相以下の閣僚らが両側に並んで合掌する姿が、全国に生放送で伝えられた。

   石原慎太郎東京都知事は「彼はサムライだった」と語った。 松岡氏の故郷である熊本県の市民はテレビで「最後の瞬間、彼は男だった」と話した。

   自殺を見る日本社会の反応はこのように特異だ。 「政治献金スキャンダルは糾明されなければならない」という反応が依然として優勢だが、松岡氏の死を美化するような反応も少なくない. 日本にはこうした類の自殺が多い。 その背景には「死で不名誉をすすぐ」というサムライ式の思考がある。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=87913&servcode=100&sectcode=120




   日本には「死ねば仏」という言葉がある。 どんなに大きな罪を犯した人でも死んでしまえばそれ以上は咎めないというものだ。 サムライが自ら名誉を汚したと判断したり、主君に累を及ぼしたと考えれば、切腹して自ら命を絶った。 日本社会はこれを美徳としてきた。 男らしいと考えるのだ。

   こうした思考は理解できる部分もある。 しかし日本特有の意識で済ませてしまうのはあまりにも前近代的だ。 危険に映ることもある。 理髪店を経営する知り合いの佐瀬卓さん(40)はこう話した。 「A級戦犯がしたことに対する贖罪がまだ足りないという指摘を受けるのも、考えてみるとこうした意識と関係があるのかもしれない。‘死ねば仏’という意識 のためだ。固陋といわざるをえない」

  こうした点で、今回の松岡氏の自殺事件以後、彼の死の原因になった問題がどう扱われるかに関心が集まる。 世論がどう形成され、政治献金問題がどんな結末になるのかが注目される。 それは日本社会がグローバルスタンダードに進んでいるかどうかをはかる物差しにもなるはずだ。

金玄基(キム・ヒョンギ)東京特派員 <luckyman@joongang.co.kr>


画像は「SAMURAI7」

それはないwwwwww
確かに「死ねば仏」故人に対しては多くが哀悼の意を持ちます。バッシングしてきた報道も自殺に関しては哀悼の意をもって放送をしていました。
石原東京都知事の発言は前後の発言がわからないのですが推測するところ大臣になる前の事柄を指しているのではないでしょうかね。自らの足で田畑に出向き、自らの声で「総理に会わせろ」(総理を出せ!の意)といい、 熱意の見て取れる政治家時代。確かにあのころはサムライといえたかもしれません。
市民の発言はまぁ置いといて。
自殺というより自決がサムライなのだと私は思っています。
・自決
[1]自分自身に関することを他人の力を借りずに決めること。
[2]主義主張を貫いたり責任をとるため自殺すること。自害。
(大辞林より)
今回の松岡氏の自殺は責任を取ってはいないのでただの自殺です。
もしサムライと呼ぶのであればせめて証拠を洗いざらい出して、しっかり謝って、そしてから自殺であるならばまぁサムライと呼んでもいいのかなとは思いますけどね。
でもまだ引っかかりますね。

ともかくこの記事は2番目の下線部を言いたかっただけですよね。あぁ馬鹿々々しい
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この記事に対するコメント

【2007/06/09 22:59】 #99b45efcf1

自殺すれば侍ですかそうですか。
自殺だとしたら、単にスキャンダルから逃れたかっただけのチキン。

【2007/06/17 12:24】NONAME #9b38efa00a

脱線失礼。

確かに「死んだら仏」「死者にむち打つのは良くない」という意識はある。
そして現代の「バラバラ殺人などの世論」を考えると
大戦中に日本兵がしたという「遺体損壊行為」はなにか納得できない。
戦闘という異常状況下なので、なかったとは言わないが。
「死にたくないから、敵を確実に無力化」はするとは思うが、死体に憎しみをぶつけるのは現代日本人のメンタリティとは乖離している。

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