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若者が呆れる現代の若者の行動。

【溶けゆく日本人】 “自己中”マナー 「電車は自分の部屋?」
雑多な人々が時間を共有する電車内の狭小な空間は、現代社会の1つの縮図なのだろう。

人目もはばからず抱擁(ほうよう)する男女、朝食代わりのパンをほおばる若者、お年寄りを平気で立たせる人々…。通底するのは「自分本位」という4文字。電車内で化粧をする女性を「僕はぜんぜん気にならない」
「自己中(じこちゅう)でいこう」と自著の中で認(したた)めたのは堀江貴文被告だが、
そこに「公共意識」や「思い遣(や)り」の文字はない。自分が気にならないことを、
心底気になる人が実は数多(あまた)いる、そんなことは少なくないのだ。

(中略)
「うちの息子が車掌に注意されたそうだが、客を怒鳴るとは何事か」
これは、列車内の床に座り込んでいるのを車掌に注意された男子高校生の親から、
JR北海道の担当者に実際にかかってきた電話の内容だ。

(中略)
高校生は、なぜ座り込むのだろう。添乗指導の際、高校生に直接問いかけたところ、
「立っているのが疲れる」「席が空いていない」など、ごく単純な理由が大半だったという。
「注意すればそのときはやめるが、目が届かなくなると、また座り込むので、イタチごっこ」。
武田さんのため息は深く、そして重い。

http://www.sankei.co.jp/seikatsu/seikatsu/070110/skt070110000.htm

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/896565.html





どうも若者です。
記事内に登場するワルイ若者と私は年代が同じ、または近いのですがこの手の報道にはいつも眉を顰めます。
公衆道徳 まずそんなものから学ばなければならないのでしょうか。
小学生の「道徳」の授業で十分なことではないのでしょうか。
でも席を譲るというのは勇気が要りますかね。その方をお年寄りと認めるわけですから逆に相手が傷心する、可能性も無くは無いですし。(ちょっとショックだったという例も聞かないわけではありませんしね。)
道ですれ違う人や電車の乗客とは一期一会であるかもしれませんがその一期一会にこそもう少し緊張感を
持つべきではないのかな、と思います。
つまり長く付き合う人ほどその間に自分の内面というものが露呈していくわけです。一度や短い間の付き合いというのは外面で”その人”を判断しがち。その外面から(自分がどう映るか注意する)というのがいわば「自分をブランディングする」ことになると思うのです。
周り(外面)が綺麗になれば自分(内面)も同調していく。逆に内面が良ければ外面も良くなるわけですが
世間的に 良い人=真面目っ子 でなぜか異端者的な扱いをされる。だから自分も周りに溶けてしまおうと
どんどん日本全体が悪くなっていく。最初”悪いフリ”でも続ければ”根から悪い奴”になる。
それでよしよしとしてきてしまった。そしてソレが大人になる。蛙の子は蛙 とキッパリ言うつもりは無いですけど
やはり同じようなサイクルは続いてデフレスパイラルのような流れを作り出してしまう。
英語なんてやらせるよりもまず道徳。社会的に爆弾となりそうなものが英語ができてもいい社会は作り出せない。
あとは今のさばっている通称「馬鹿親」とか「善はカッコ悪い主義者」をどうするか。自己啓発ポスターが効力を発揮するとは思えないのですが。。。
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